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感じない男 (ちくま新書)

評価:
森岡 正博
筑摩書房
¥ 714
(2005-02-08)
射精しても気持ちよくないのは病気じゃなかった!
自分のことを振り返ってみても、性的に興奮しているときには、射精によって何かすごい快感の世界に行けると思っているのだが、実際に射精した後は、いつも裏切られてしまい、ざらざらとした砂漠にひとり取り残された気分になる。(p.31)
よくよく考えてみると、なにかしら「不安」な気持ちになったときに、マスターベーションをしているような気がする。<中略>もうひとつ考えられるのは、なにか「いじめたい」気分になったときに、しているということだ。(p.47)
中学校や高校は、柔軟性に富んだ少年少女たちを、経験をつんだ大人たちが、よってたかって公然と「洗脳」することが許されている、きわめて危ない場のように思えてくる。(p.84)
中学校や高校の教師たちが「経験をつんだ大人たち」かどうかは疑問であるが、ロリコン男が援助交際する論理とひどく似ている。『ロリコン男と援交少女』でインタビューされている、会社経営者の喜びそのものでないか。特に学校という制度内で、この快楽が顕著なのはフーコーの権力論とも通じるのではないか。
私の意識の底には、ひとつの思いが沈殿している。私はあの思春期の分岐点において、間違った方向へと舵を取ってしまったのではないかという思いである。本来ならば「女の体」のほうに向かって開花しているはずだったのに、何かの間違いで、私は「男の体」のほうに舵を取ってしまった、いや自分の意志とは無関係に無理やり舵を取らされてしまったのではないかという思いである。(p.130)
女を買うということ、ポルノに没頭するということ、それらの根っこには、「男である自分の体は汚いじゃないか!」という強烈な意識があるのではないかと思ったのである。この男(※買春する男)にかぎらず、もっと一般的に、そういうことが言えると思ったのだ(p.145)
では、「感じない男」から脱出するには、どうすればいいのか。 私と似たような症状に陥っている男たちのことを念頭において、考えてみたい。  まずは、自分の体が「不感症」であるということをいさぎよく認めることだ。小便のような射精と、その後の空虚な感じは、もうどうしようもないと見切りを付けることだ。不感症を引き受けるとは、生物学的に男の体をもって生まれてしまったことを引き受けるということでもある。その事実を直視して、「私は不感症だが、それでもまったく問題はないのだ」と宣言する道があると思うのだ。不感症には違いないが、治療は必要ないということだ。(pp.161-162)
ほんとうの快楽と、宇宙との合一感をこころから求めていた人々が、その結果、どのような悪を抱え込まなくてはならなかったかを、私はこの目で見てきた。男が快楽を追求するときの落とし穴というものが、たしかにある。それは、快楽の追求が、知らず知らずのうちに、「権力」と「欲望」び追求へと変化してしまうことである。(p.166)

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